空虚でも切なくても生きていくことが人生
心を持ったダッチワイフと人間たちの悲喜劇 まず最初に、この映画は何よりも主演でタイトル通り「空気人形」を演じたペ・ドゥナが素晴らしかったことを書いておかないといけない。彼女なしにはこの作品はあり得なかったであろうことを触れてからではないと何も始まらない気がする。
それからまだ作品を観ていない人は、一緒に観に行く相手をちゃんと考えた方がいい。間違っても始めてのデートで選んではいけない類いの映画だ。なにせ主役がダッチワイフで、オナホールを丹念に洗うシーンなんかもある。映画館のスクリーンでオナホールを観たのなんて始めてだ。
ちなみにこれは完全に余談になるのだけれど、僕は以前コンビニで売っているエロ本の編集をしていたことがあって、エロ本に載せる際でもオナホールの局部にはちょっとボカシやモザイクを入れたりしていた(いくら玩具でも女性器は女性器だ! ということらしい)。でも映画は問題ないんだなぁ……なんてところに一番驚いてしまった。日本って不思議だ。
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古いアパートに一人で暮らし、ファミレスで働くしがない中年男・秀雄(板尾創路)の恋人はダッチワイフ=空気人形。だがある日、そのダッチワイフが「心」を持ってしまう。空気人形は秀雄が仕事に出かけている昼の間、ひとりで街を出歩いて人間同じような生活を楽しむ。
ひとりで淡々と人形に話しかける秀雄の情けなさや、たどたどしい歩き方と口調で昼の生活を楽しむ人形の姿など、序盤は気を抜いて微笑ましく観ることができるシーンが多い。バイト先の先輩・順一(=ARATA)に恋をした人形が化粧を覚え、自分の体にあるシリコン(ビニール?)のつなぎ目をコンシーラーで消すシークエンスなどは単純にコミカルでキュートで面白い。ここまでは和やかなムード漂う、普通のファンタジックコメディだ。
だけれど彼女は秀雄が所有する人形であって、夜は家に帰って秀雄の相手をしなければならない。心を持ち、順一に惹かれているのに秀雄に抱かれなければならない運命から彼女は逃れることが出来ないのだ。
彼女は自分が心を持った人形として生きることの空虚さに気付き、存在意義に疑問を感じてしまう。
では、彼女が心を持ったことは不幸だったのか?
物語の中ではOLの美希(星野真里)や交番勤務の警官・轟(寺島進)や交番に通う老人の千代子(富司純子)など、同じ街に暮らす様々な人物が登場する。彼らは見た目はいたって普通の満たされた大人だ。だが美希は家に帰ると過食と嘔吐を繰り返し、轟は警官の汚職が描かれた映画ばかりを好んで鑑賞し、千代子は全国で凶悪犯罪が起こるたびに「あの事件の犯人は私よ」と轟に名乗り出る。
それら登場人物たちがなぜそのような行動を取るのかという背景はあまり描かれない。しかし彼らが示すのは、人間も多くは日々に悩み、苦しみ、葛藤と迷いと抱えながら生きていて、必ずしも幸福に生きていられるわけではないということだ。空虚な毎日に、自分が空っぽだと思うことも多い。心を持った人形は「私の中には何もない、ただの空っぽ」と順一に打ち明けるが、心を持って生まれた人間だって同じくらい空虚で空っぽなのだ。
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しかし、人間が人形と変わらないほどに空虚な存在であるならば、生きる意味などどこにあるのだろう? それに答えるのが、公園で黄昏れていた老人(高橋昌也)だ。彼は吉野弘の詩『生命とは』を人形に教える。これは老人が人形に、そして是枝監督が観客に向けて「生きることの意味」を伝えるシーンであり、『空気人形』の物語世界ではこの詩が重要な意味を持つことになる。以下に一部を引用するが、素晴らしい詩なのでぜひ全編読んでもらいたい。
生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
(中略)
あたなも あるとき
私のための風だったかもしれない
(『空気人形』公式サイトより抜粋)
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ただし、実のところこの『空気人形』で語ろうとしていたことは上の詩で全て事足りてしまっており、この映画は「『生命とは』という詩を心を持ったダッチワイフを通して描いたファンタジー」なのである。
正直なところ、僕は是枝作品では珍しく観賞後すぐにはイマイチな感覚があった。それは多分、この映画が孕んだ分かりづらさや複雑さによるのだと思う。
原作がある作品の映画化を拒み続けた是枝監督が「『空気人形』(業田良家の『ゴーダ哲学堂 空気人形』)だけは別格」と、9年前から構成を練っていただけあり相当の思い入れがあったのか、監督の作家性が強くにじみ出ているような作品となっている。
是枝監督の作品は今まで「ヒューマニズムの探求」「徹底したリアリズムの追求」「ファンタジーの雰囲気」などと同時に「分かりやすさ」も共通してきたキーワードだったと思うのだけれど、その「分かりやすさ」が決定的に抜け落ちているのである。
しかも心を持った人形のファンタジーという、いかにも「分かりやすそう」な物語なのに、実は全く正反対の映画だという構図も「分かりづらい」感を割り増しにしていたのだと思う。
物語は序盤のコミカルな雰囲気から、人形が自分の存在意義に疑問を感じた場面からは一転して哲学的な内容となる。さらに人形は存在意義を探すのと同時に順一への恋心を募らせて行き、後半はその想いが致命的にすれ違ってしまうがために、いきなりサイコホラーばりの展開に転がり落ちる。終盤に観られるこの血なまぐさいシーンは「心があるのに中身のない人形」と「中身があるのに心がない人間」という、どちらも「空っぽ」であることが起こした切なすぎる悲劇である。
本来ならば涙ながらには観れないこのシーンでイマイチ切迫感を感じなかったのは、序盤でさんざん描かれたファンタジーの世界観が邪魔をしていたせいかもしれない。物語はファンタジー的展開に終始しており現実味がなく、だからあの重要なシーンでも人形と順一の痛みや悲しみが、本当の切迫感を伴って響いて来ることがなかった。
それからもうひとつ。
たくさんの登場人物たちの背景を描くことなく「悩み苦しむ現状」だけを見せたことも、理解し難い演出のひとつだった。都会に住むたくさんの人々が一様に抱える空虚さを描くためにあえてあの描き方だったのだろうとは思うけれど、その割にはキャストが星野真里や寺島進など存在感が強い俳優が揃っているため、非常にアンバランスさと冗長さを感じてしまった。あの程度の描き方で終始するならば、配役ももっと地味で無名な俳優のほうが良かったように思う。
前作
『歩いても歩いても』(08年)がとことんシンプルで、とことんリアリティーを追求した作品だったせいもあるかもしれないが、この作品ももっと削ぎ落として伝えたいことの根っこがストレートに伝わるような、シンプルな作品にしてほしかった。
もの凄く集中して観て何度も咀嚼すれば素晴らしいことをそつなく語る傑作に近い作品かもしれないとは思うのだけれども、いかんせん色々な要素(ファンタジーでコメディーで人間ドラマで、メランコリックに死生観や孤独感や人の悲哀が詰まった悲劇であり喜劇)が詰まり過ぎていて根っこが見えずらくなっている気がするのだ。
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批判的な意見を続けてしまったけれど、僕は
『ワンダフルライフ』(99年)で衝撃を受けて以来の是枝ファンだ。それ故細かいところまで必要以上に気になってしまっているのかもしれない。
ただ、『ワンダフルライフ』と
『誰も知らない』(01年)の間に、複雑なテーマを複雑に描いた『DISTANCE』(03年)があり、『誰も知らない』と『歩いても歩いても』の間に実は普通の時代劇だった
『花よりもなほ』(06年)があった。だから今回も、数年後に誕生するであろう新たな傑作への踏み台となった佳作になることを本当に期待している。
またこの映画のすごい部分を(ペ・ドゥナの人形具合の他に)挙げておくと、すでに海外での評価が高い是枝監督なのに世界の舞台への下心がまるで見えないことがある。
例えば前半、板尾創路演じる秀雄が風呂場で空気人形と一緒にお風呂に入りながら「今日はTUBAKI買ったんや。やっぱ高いだけあって、ええ匂いやな」と話しかけるシーンがある。これはたかがダッチワイフに「最近の女子に大人気だけどちょっと高いTUBAKI」を買っている男の悲哀と痛々しさがにじみ出るコミカルで重要なシーンなのだけれど、TUBAKIを知らない外国人には通じずらいシーンだろう。
逆に言えば「ちゃんと日本人に伝わる演出」に全力をつぎ込んでいるということでもある。日本人に認められてもいないのに外国向けにベタべタな笑いに終始した『しんぼる』(09年)とはえらい違いである。
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『空気人形』は人の一生とは切り離すことのできない孤独感や、生きることと死ぬことの意味を描いた作品で、ヒューマニズムの探求を続ける是枝監督らしい作品だ。映像美も素晴らしく、ただの人形から心を持った人形へと変わる冒頭のシーンなど、目を引きつけられるショットが多かった。舞台となった街を流れる隅田川のように、ゆっくりと流れるようなカメラワークが印象的だった。
中盤で観られる、人形が空気を吹き込まれるシーンの色気は他の映画のセックスシーンを遥かに凌いでいた。直接的なセックスではないのに、悲しみや恥ずかしさや好きな人で満たされてく喜びなど様々な感情が交錯した、紛れも無く邦画の歴史に残る官能的なセックスシーンだろう。
この映画で描かれる人形の空虚さは人間の空虚さで、人間の切なさは人形の切なさ。人形が誰かに空気を入れてもらうことでしか生きられないように、人間も誰とも関わらずには生きられない。
そんなに空虚で切なく無力な人生に、生きる意味はあるのだろうか?
生きる意味は一生かかっても分からないかもしれないけれど、しかし生きること自体に意味があるとすれば。
タンポポが風に揺られることで種を飛ばせるように、生きて誰かと関わることで自分が誰かの風になっているとしたら。
生きて行くことにささやかな温もりを与えてくれる寓話だ。
(製作:日本/シネマライズにて鑑賞)